■ブータンへ出発
ブータンという国は、私ラヂヲの中ではヒマラヤのあたりにある、変わった形や材質の記念切手を発行している小さな王国、という知識しかありませんでした。通信関係会合を企画していて、開催時期と開催国が、9月上旬にそのブータンに決定しました。当初、スピーカーとして誰かに行ってもらおうと考えていたのに、まさか自分で行く羽目になるとは。なかなか行けない国とはいえ仕事ですから、英語に難ありのラヂヲに苦労の予感がありました。
ブータンの政府を通じてビザ申請とブータンに乗り入れる唯一の国営航空ドゥルック・エアの航空券も手配し、とりあえず入国準備完了。
ブータンへはバンコクから早朝の便しかないため、初日はバンコクに1泊となります。
バンコク空港に夜遅く到着し、空港近くのホテルに宿泊。ちょっとバンコクのラジオを聴いてみようと、ICF-SW7600GRを取り出し、窓際にAN-LP1をつり下げて短波を聞いてみます。NHKラジオ日本を受信しようとしたのですが、どうも受信状態がよくなく、聞き取りにくいのです。そこで、短波はやめてFMラジオを聞いてみることに。
FMの方は76〜108MHzまで、500kHz間隔でほぼ放送が聞こえてきます。いろんな番組が放送されており、聞き飽きることはありません。ラジオを堪能していたいのですが、明朝6:50の便なので、3:30起床です。もう零時を過ぎており、ほとんど寝る時間はありません。ラジオはブータンの楽しみにして、寝ることに。
早朝バンコクからコルカタ(カルカッタ)を経由して4時間半で、ブータンのパロ空港に到着。機体は昨年秋に導入されたばかりのエアバスA319で思ったよりも快適でした。
パロ空港のターミナルは伝統建築様式でなかなかの風情があります。
■ブータン概要
ブータン王国はドゥルック・ユル(雷龍の国)とも呼ばれ、マラヤ山脈のほぼ東端の南斜面に位置し、インド東北部、中国のチベット自治区の南方にあり、九州ほどの面積に人口約70万人の小さな山岳国です。首都ティンプーは約2400mの標高で、人口は約5万人。男性はゴ、女性はキラという日本の着物に似た民族衣装の着用が義務づけられています。公用語はゾン語(ゾンカ)ですが、小学校から英語による教育が行われているため英語が堪能です。
■ブータン到着(パロ空港からティンプー)
入国手続きを終えて、出迎えていただいたブータン政府の方の車で首都ティンプーまで向かいました。パロからティンプーまでは川沿いに狭い曲がりくねった山道を1時間半走行しますが、ガードレールもなく大型トラックとすれ違うのもやっとの道を飛ばすので怖さの連続。景色は木のない茶色い山肌の斜面が続いてまったくもって単調。ティンプーで無事車を降りられてホッとしました。
標高2200mの山間の街ティンプーは、日本でいうと長野県の山間部にある町という風情です。
今回の宿泊先であるホテル・ペリン(Pedling)に到着。市街地の便利のいい場所にあります。
部屋は玄関すぐ上の2階の部屋。ツインルームで広い部屋だが調度品が時代を感じさせる。さらにバスルームが古い造りで時代を遡ったような驚き。(一度水洗の水が全く出なくなって焦りました)
テーブルの灰皿の上にローソクが置いてあり、停電時はこれを使えということでしょうか。
■通信施設視察
ホテルに荷物を置くと初日のスケジュールである通信施設の視察です。
ティンプーを出発しシムトカに下り、ドチュ・ラ(ラは峠の意味)という標高3150mの峠に向かいます。りんご畑のある集落がところどころにある曲がりくねった山道を上っていき、再びスリルの連続でした。ドチュ・ラは晴れていればヒマラヤの山々が望める展望のいい場所なのですが、霧と小雨で展望がほとんどききませんでした。
ここに整備されているマイクロ波中継所の視察ということで、峠の広場から坂道を少し上っていきます。標高3000mを超える高度で空気が薄いためか、上り坂をちょっと歩いただけで息が上がり、胸が苦しくなってきました。
このマイクロ波無線中継所は、日本の無償援助で1998年に設置されたもので、ブータン国内の主な山頂付近に20数ヵ所設置されている無線電話中継所のひとつです。ブータンの基幹伝送路網は、日本の無償資金協力プロジェクト(1991〜1998年)で、主要地方都市間を結ぶデジタル無線方式で構築されました。
このドチュ・ラには、昨年108基のチョルテン(仏塔)が建立されました。外周を一回りすると御利益があるというのでぐるりと右回り一周して、ティンプーへの帰途につきました。
■ブータン料理
夜はブータン・キッチンというブータン料理の店がお勧めというのでメンバーで出かけました。メニューはなく、コース料理になっていて、辛いものもありましたが、
飲み物は「アラ」という蒸留酒(穀物の焼酎みたいなもの)と、ブータン地ビールのレッドパンダビールで盛り上がり、明日の会合のことは忘れて、呑め呑め...。
■ラジオ事情
ホテルに戻ると、ブータン時間で22:00(日本時間01:00)。NHKワールド・ラジオ日本を聞いてみました。
12045kHz(東南アジア地域向け)でSINPO:45444と昨日のバンコクよりも良好に受信できました。
ニュースの後、30分ほどラジオ深夜便で三代目桂三木助の「ざこ八」をしばし聞いておりましたが、そのまま寝入ってしまいました。
ブータンの放送局は国営放送のBhutan Broadcasting Service(BBS)1局のみです。
ラジオは1973年にNational Youth Association of Bhutan(NYAB:ブータン青年協会)が1日1時間の短波ラジオ放送Radio NYABを始めました。1979年に政府がNYABラジオ局を吸収し週3日各3時間放送となり、1986年にBBSに改称し、1992年にはブータン放送公社(BBS)に移行、1998 年 にはデンマークの援助でFM 放送を導入・整備という経過となっています。現在ではゾンカ、英語、ツァンラカ、ネパリの4言語により毎日15時間(07:00〜22:00)の放送が行われています。
放送はFMと短波で行われており、現在国の約75%をカバーしており、2010年までに残りの地域をカバーする計画ということです。
(短波放送)
6035kHz(50kW)Sangaygang送信所
(FM放送)
ドチュラ主局:88.1MHz(1kW、ティンプー、プナカ、ガサ、ワンデュ)
タクチ中継局:98MHz(1kW、チュカ、プンツォリン、サムツェとチランの一部)
ヨチュラ中継局:93MHz(1kW、ブムタン、トンサ)
ジャブジ中継局:92MHz(20W、パロ)
カルバンディ中継局:92MHz(20W、プンツォリン市内)
■テレビ事情
1999年にテレビが解禁となり、首都圏においてインドの援助によるカラーテレビ地上波放送(PAL方式)が開始されました。BBSにより、再放送を含め1 日6 時間放送されています。現在、テレビ放送は、ティンプー周辺と南部のプンツォリンをカバーしているのみです。放送は、放送開始から2 時間はゾンカ語、続く1 時間は英語となっている。
CATVも1999年に解禁となり、全国で37 社が通信監督庁から免許を付与されています。BBSのテレビ番組の配信が義務付けられていて、CATV による放送チャネル数は40ch を超えており、BBSのTV番組のほかインド等の衛星放送の再送信が主となっています。
ホテルのテレビもCATVが見られ、BBSの他にBBC、CNN、インドの放送など多数の衛星放送が見ることができました。それにNHK衛星放送も見られるため、受信状態を気にしながら短波のラジオ日本を聞かなくても、日本の情報が入手できます。
■インターネット事情
インターネットは1999年にテレビ放送とともに国王在位25周年事業として解禁されたのですが、通信状況は悪いようです。ホテルの客室ではネットにつなぐことはもちろんできず、1階にインターネットルームがあったが、電話回線接続のようで、使う時間がなさそうです。なお、聞くところによると日本から来て、インターネットの速度の遅さに慣れるのにかなりの時間がかかったとか。ブータンの外国に出る回線が超細い(10Mbps?)らしいのです。
■とにかく犬が多い
この国は野良犬がとても多くて、道端などいたるところに寝ころんだりウロウロしています。仏教徒で動物の殺生はしないためか、ブータンの人たちは野良犬を虐待する様子は全くありません。そんなことで共存している犬たちは、昼間はごろごろのんびりしている様子ですが、夜になると吠えまくり、夜中に目が覚めると犬の吠える声で眠れなくなります。病気を持っている犬もいるようですので、噛まれたりしないよう気をつける必要があります。
■会合出席
会場は国王の執務室でありブータン仏教の総本山でもあるタシチョ・ゾンの川を挟んだ東側のバンケットホールで開催されました。会合にはアジア太平洋地域から21か国の人が参加し、ブータン情報通信省のホスティングで行われました。
私も1時間ほどプレゼンを行い、今回の出張の仕事はなんとか勤め上げました。
夜は情報通信大臣もお見えになり、ひとときの宴を楽しみました。バンケットホール前で全員が輪になって唄いながら右回りして踊るブータンのトラディショナルダンスに参加し夜が更けました。
■街を散策
最終日は少し時間が空いたので、ティンプーの街を散策しました。
・ティンプーでいちばんにぎやかなノルジン・ラム(ラムは「通り」の意味)をブラブラしているとソニーサービスセンターの看板を見つけました。
・ブータンには信号機がありません、ノルジン・ラムとチョルテン・ラムの交差点の中央では交通整理のお巡りさんが車をさばいていました。川の方に向かっていくと、チャンミリタン競技場に行き当たり、人々が何かを観戦しているようなので、行ってみるとサッカーの試合が行われていました。ここで、2002年に「もうひとつのワールドカップ決勝戦」が行われました。当時FIFAランキング最下位を決めるブータンとカリブの小国モントセラトの試合があったのです。試合結果は4対0でブータンが勝っています。ブータンの子供たちにもサッカーは人気のようです。
・紙すき工場
この工場は島根県三隅町と石州和紙で技術交流を行っているそうで、案内していただいた方は10年前に日本に研修に行かれていて日本語ペラペラで、紙すきの作業の様子を説明していただきました。工場内のショップでレターセットを購入。ブータンで和紙を買うなんて、これも国際交流ですね。
明朝は3時起床でパロ空港まで行き、いよいよ帰国です。
■お世話になりました
今回の会合では、通信標準化のJICAシニアボランティアで活躍されているKさんにお会いでき、ブータン生活の裏話などいろいろとお話を聞かせていただきました。また、Kさんには英語の勉強法も相談に乗っていただき、ムリをしない学習法をご教授いただいて、ラヂヲも少しがんばるかなという気になっております。
そしてラジオの話をしていたら、なんとKさんも昔はBCLをやっておられたということで更に意気投合し、ラヂヲ堂を紹介させていただき、先日ラヂヲ堂を見に来ていただいたようで、メールをいただきました。
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